山口県宇部市新天町二丁目二ー一九          七五五ー〇〇二九





 中津瀬神社

 










享和元年(一八〇一)創建。
当地一帯は、小高な砂州で雨が続く度に東流の塩田川と西流の宇部本川の合流域は氾濫し、落差の無い下流域に亘り甚大な被害を及ぼし作物もできない無毛上の地で人々の暮らしは困窮を極めていた。
時の宇部給領主毛利家永代家老福原房純公は、寛政九年(一七九七)合流域から海へ直線に注ぐ新川を開削し、翌寛政十年三月完工。
新川疎通の一大土木事業により当地一帯は肥沃な良田、豊かな農村へと一新し、河口域は内陸の山村と水上交易が著しく進展し、連絡基点、船舶の停泊港、商業港として栄えた。
享和元年十二月、福原房純公は、疎通の神助を謝し邑里鎮護の神として海・川・農耕の神を奉齋すべく新川左岸白砂清松地(ヒストリア宇部〜国道域)に社殿を創建。
明治四十四年東方へ二町ばかり社殿境内を移す。
大正八年村社。
昭和二十年七月二日未明の宇部大空襲により社殿堂宇全焼、市街地一帯は焦土と化し、戦後宇部市戦災復興都市計画事業のもと現在地に縮小。
宇部市制百年の令和三年(二〇二一)に、御鎮座二百二十年の式年の年を迎えた。

当社は通称「水神様」と親しまれ、万物の命の源である水の御神徳をして人々の心のオアシス、工業都市として発展を遂げてきた宇部市の象徴、中心市街地に位置するご縁を以て街づくり・賑わいづくり、地域活性の郷土の守り神として信仰されている。

       










由緒沿革
                                     




中津瀬神社について
      摂末社  

配祀神
 

主祭神
御祭神
恵比寿大黒社 (えびすだいこくしゃ) 宮市天神社 (みやいちてんじんしゃ) 庚申社 (こうしんしゃ) 産霊社 (むすひしゃ) 龍神社 (りゅうじんしゃ) 金刀比羅神 (ことひらのかみ) 赤崎大明神 (あかさきだいみょうじん) 八王子神 (はちおうじのかみ) 淵津姫神 (たぎつひめのかみ) 市杵島姫神 (いちきしまひめのかみ) 倉稲魂神 (うかのみたまのかみ) 瀬織津姫神 (せおりつひめのかみ) 綿津見神 (わたつみのかみ)
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