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由 緒

鎮座地

郵便番号 755-0029
住   所 宇部市新天町二丁目二番十九号
電話番号 0836-32-4138

祭神

主祭神 綿津見神(わたつみのかみ) 瀬織津姫神(せおりつひめのかみ) 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
配祀神 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ) 田心姫神(たごりひめのかみ) 淵津姫神(たぎつひめのかみ)
八王子神
(はちおうじのかみ) 赤崎大明神(あかさきだいみょうじん) 金刀比羅神(ことひらのかみ)

社殿

本殿 流造銅板茸・一坪五・昭和二十四年
幣殿 六坪
拝殿 一〇坪五

境内神社

福稲成神社 太鼓谷稲成神社御分霊

境内地

面積 七二一坪・境内地一五〇坪

境内建造物

一ノ鳥居 石造・昭和十二年 授与所 木造・四坪五
二ノ鳥居 石造・昭和十二年 社務所 木造・二六坪五
三ノ鳥居 石造・大正十年 参集殿 木造・一二坪
狛犬一対 石造 御大典 昭和
大灯籠一対 石造・昭和十二年 記念碑、
新川疏通一○○年記念碑
明治三十一年
神輿庫 木造・一二坪 御鎮座一七五年記念碑 昭和三十一年
手水舎 木造・一坪五

由緒沿革


 江戸時代の享和元年(一八〇一)の創建。この頃、当地一帯は度重なる水害に困窮していた。
 寛政九年(一七九七)、領主福原房純の臣村上清右衛門純明は、新川の開鑿奉行となり、東流の塩田川と西流の真締川の合流域に堤防を築き、川の流れを南方の海へと注ぐ一大土木事業を行った。
 寛政十年(一七九八)、この新川疏通の大工事は竣成し、旧状を一新して当地は肥沃な良田となり、豊かな農村へと面目を一新した。
 三年後の享和元年(一八〇一)に、「土堤堅めの守護神」として、新川の左岸、白砂青松の地に当社を建立する。天保十一年(一八四〇)、藩命により、当地(琴芝台地)に祀ってあった八王子・稲成・赤崎の三神を奉齋する。
 明治四十一年(一九〇八)、神社の統合が行われ、八王子・稲成・赤崎、そして境内に祀ってあった厳島神を、当社の祠に合配祀する。明治四十四年(一九一一)、二町ばかり東方に社殿を移す。大正八年(一九一九)村社に列する。大正十四年(一九二五)、社殿の老朽部を改築。昭和三年(一九二八)に御大典を記念して大改築を行い、面目を一新する。
 昭和二十年(一九四五)七月二日社殿が戦災にあう。幸い御神体は境内の第一防空壕内に御奉安、七月三日藤山の西宮八幡宮に奉還し、一夜出雲岩戸神楽を奉納申し上げ、御神慮をお慰めする。同年十月、焼土と化した社地に仮殿を設け、西宮八幡宮より御奉還申し上げる。

<神社庁設立以降>
 昭和二十一年(一九四六)、中津瀬神社規則を定め、同年財産目録を作成。同年罹災並復興状況報告書を神社庁に提出。
 昭和二十四年(一九四九)、宇部市特別年計画事業宇部復興土地区画整理により、境内地換地承認申請書を神社庁に提出。この市事業により、境内地は現在の社地のみと大きく縮小した。また同年、常盤公園内の金比羅宮の社殿を譲り受け、これを移築する。
 昭和二十六年(一九五一)、御鎮座一五〇年式年祭を厳修し、幣殿・拝殿・神輿・社務所の新・改築を行い、併せて神具一式を取揃える。次に渡辺祐策の奉斎していた金比羅神社を、宇部市・岡田朝勝氏を経て昭和二十七年(一九五二)から当社へ合祀する。
 又、日高氏奉齋の稲成神社も、昭和二十五年(一九五〇)、当社地に奉齋する。
 当社は戦火により焼失し、無一文となってより七年の間、境内地の整備や社殿その他の建物、境内社再建と着々とその復興事業をすすめてきた。
 このようにして、先の昭和五十一年(一九七六)の御鎮座一七五年の式年祭を以って、ようやく現在の神社のように面目を整えた。
 平成五年(一九九三)、皇太子殿下御成婚記念として、参集殿を新築する。さらに同年、三〇名の会員を以って、中津瀬神社敬神会婦人部を発足させ、諸行事の助成や神道の興隆のために研修を深めている。

宮司

宮 司 丸 茂 雄 治

崇敬者数

崇敬者数 一二〇〇名

神紋

神紋 抱き結び稲に中字