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満員御礼!

宇部市民オーケストラ

第6回定期演奏会

2004年3月7日(日) 開場13:00 開演14:00

会場:宇部市渡辺翁記念会館

入場料:1000円(高校生以下500円)

ヴェルディ 歌劇「運命の力」より序曲
ハイドン 交響曲第100番 「軍隊」
ブラームス 交響曲第1番

指揮:松下 京介 主催:
宇部市民オーケストラ

後援:
宇部市、宇部市教育委員会、NHK山口放送局、TYSテレビ山口、KRY山口放送、YAB山口朝日放送、朝日新聞社、毎日新聞社、宇部日報、宇部好楽協会、宇部音楽鑑賞協会

プレイガイド:
宇部TYSカルチャーセンター、宇部井筒屋、イトオ楽器店、小野田サンパーク、サンパークあじす、フジグラン宇部、その他ポスターのあるプレイガイド

お知らせ:
当日託児所を準備しております。1名につき300円(保険料含む)ご希望の方は事前にご連絡ください。
駐車場が狭いため、なるべく公共の交通機関をご利用ください。

お問合せ:
宇部市民オーケストラ事務局 佐藤クリニック内 FAX0836-32-7514
ube-oke●crocus.ocn.ne.jp
●は@に変更してください
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第六回宇部市民オーケストラ定期演奏会に寄せて
―音楽の未来を指し示すブラームス―
宇部市民オーケストラ団長 佐藤育男

今回、宇部市民オーケストラ(以下宇部オケと略)は、最近イタリアから帰国した若 手の指揮者、松下京介氏を迎えてヴェルディ作曲歌劇「運命の力」序曲、ハイドン作 曲「軍隊」交響曲、そしてブラームス作曲交響曲第一番をお届けする。氏は宇部オケ との初練習で、これら三曲の異なった性格(運命の力におけるデモーニッシュな情 熱、軍隊でのハイドン独特のチャーミングな愉悦感、そしてブラームスの奥深さ)を 見事に振り分けた。本番が期待されるところである。

 さて、宇部オケは初めてブラームスの交響曲に取り組む。そこで、今回はブラームス雑感とさせて戴きたい。
ショーンバーグは、彼の著書「大作曲家の生涯」(FM選書)のなかでブラームスを次のように紹介した。「十九世紀前半の音楽を支配したのがベートーヴェンだとすれば、後半に君臨したのはワーグナーである。一方、同時代に彼と同じほど偉大でありえた唯一の作曲家がブラームスだった。二人は全く正反対の存在だった。ワーグナーが革命的で音楽の未来に多大な影響を与えたのに対し、彼は古典的でベートーヴェン、メンデルスゾーン、シューマンに引き継がれた交響曲の伝統を完結させた。進歩派でワーグナーに心酔していたフーゴ・ウォルフは、彼の新作が発表されるたびに躍り上がって噛みつき、次のように笑い物にした。『ブラームスはメンデルスゾーンやシューマンの亜流に過ぎない。その作品の影響力たるや皆無である。この人物は太古の遺物であり時代の潮流とは全く関わりがない‥』と。だが、太古の遺物にしては、彼は、今日でも驚くほど人気を博している。それどころか、ベートーヴェンとともに最も人気のある作曲家でもある。先輩メンデルスゾーン達のかなりの作品が演奏の機会に恵まれていないことを考える時、彼の変わらぬ人気は驚嘆に値する。彼が後の世代に伝えるべき極めて適切な言葉を持っていたことは明白である。」
・・三十年前の一九七〇年、このピリッツアー賞を受賞したニューヨーク・タイムズ紙の音楽批評家はブラームスをこのように評価した。彼の卓見は、十年後に証明された。一九八三年のブラームス生誕百五十年を機に、英語圏の研究者達間にブラームス・ルネッサンス運動が起こり、彼の音楽がむしろ現代的で、決して古くさくはないと再評価されたのである。研究者の一人、バークホルダーは、「ワーグナー一派によっ発展した新しい音楽語法は現代のジャズに至るあらゆる種類の音楽に影響を与えたが、現代音楽そのものの流れを決定したのはブラームスである。彼は二十世紀のクラシック音楽に、最も重要な影響を与えた。それは、音楽形式ではなく、音楽に対するアプローチ、在り方、作曲の根拠などである。」とし、これまでの定説を真っ向から否定した。そして、「今日、ワーグナーの後継者は映画音楽の作曲家以外に皆無である。それに対して、ブラームスの後継者は大勢いる。」と結んでいる。本田脩氏も、「ブラームスの音楽は過去五百年に遡る西洋音楽に深く根差しながら同時に遠く未来を指し示している」と評価した。
(変貌するブラームス像ーその内在的、外在的意味 日本ブラームス協会・編「ブラームスの実像」 音楽の友社)

 さて、前述のウォルフとは反対にブラームスを熱狂的に支持し、ワーグナーを「どうにもならない俗物!」とこき下ろした当時のウィーンを代表する音楽批評家のハンスリックは、第一交響曲のウィーン初演(一八七六年)に次のような批評を寄せた。ブラームスの本質をよく表していると思うのでこの長文の力作を抜粋してこの曲の紹介にしたい。

「交響曲第1番(楽友協会)初演評 エドワルト・ハンスリック 
楽界全体がこれほどまでに切なる思いで最初の交響曲を待ち望んでいたというのも例のないことだ。これはとりもなおさず、ブラームスがとてつもなく高度でしかも複雑な形式を用い、飛び抜けた作品が書けると信じられていたことを物語っている。しかしながら、聴衆の期待が大きくなればなるほど、また新たなる交響曲を望む声が高まれば高まるほど、ブラームスは慎重かつ細心になっていったのである。良心の呵責と厳しい自己批判の念に駆られるのが彼の著しい特徴である。彼は自らの創作に対して常に最高の成果を望み、その達成のためには全力を尽くしている。友人たちの矢の催促に、自分は先輩の作品に畏敬の念を抱いているので「交響曲を書く」などと軽々しくは言えない、と答えるのが常だった。この素晴しい技術に裏付けされた新しい作品の出来栄えを見ると、自らに対する厳しさや濃やかな心遣いのほどがはっきりとわかる。この交響曲は、極めて厳格で、しかも入りくんだところがあり一般受けを狙うようなところがまったくないので、すぐに曲を理解するなどできることではない。だが繰り返して聴けばそんな悪い印象は消えてしまうだろう。この曲が交響曲史上最も個性的で格調高い作品であることは素人でもすぐに理解できる。第1楽章で、聴く人は強烈な感情表現、ファウストのごとき苦悩、豊かな対位法などに心を打たれる。アンダンテ楽章では、ゆったりと歌われる高貴な旋律によって和らげられる。一方、スケルツォ楽章は旋律やリズムの魅力に欠け全体が活気に乏しい。突然に音が鳴り止む結尾など、なにか場違いとでも言いたいところだ。第4楽章の冒頭はハ短調アダージョで始まるが、ここは極めて意味深い箇所である。暗い雲のなかからハ長調のヴァルトホルンがヴァイオリンのトレモロに乗って優しくはっきりと響いてくる。われわれの心も弦楽器と競うようにさざめく。ベートーヴェンの第9交響曲の、あの歓喜の歌を思わせる簡潔で美しい主題が始まり、あたりを圧倒するかのごとくまっしぐらに結尾に向かって高められていく。・・ベートーヴェン後期の様式にこれほど近づいた作曲家はブラームスをおいて他にないのではないか。このように言うと大したほめ言葉になってしまうが、ブラームスの官能を超越した精神的な表現、美しく広がる旋律、転調における大胆で独創的な試み、ポリフォニックな構成などについてはもちろんのこと、上記すべてに当てはまる男性的で格調高く、威厳に満ちた全体像は、ベートーヴェンの交響曲様式を偲ばせるのである。そして、シンコペーション、掛留和音、異なったリズムの同時使用・・・これら3つの要素すべてが最新のドイツ音楽において大きな役割を果たしているが、こういった要素をブラームスは人一倍好んでいる。ブラームスのこの新しい交響曲はわが国が誇れる大きな宝であり、真の喜びと実り多い研究の尽きることのない泉である。」というものである。(前述の「ブラームスの実像」より)

 私自身は、第一楽章の奥深さ、第二楽章の美しさ、特にホルンとヴァイオリンソロ、そして、第四楽章の勝利の構図に心を打たれる。第四楽章は、ベートーヴェンの第九に似ていると言われて「そんなことはロバでもわかる」と切り捨てたブラームスの意図(・・第二楽章の出だしの旋律が「田園交響曲」の出だし、「ミファラソファミレ」によく似ているものの内容は似て非なるもの)であることを考えると、むしろ「勝利の方程式」を彼自身が別の形で作りたかったのではないかと愚考するのである。さて、皆様はどう思われるであろうか?


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