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「第九」演奏会に寄せて 雑感― その 2 第九の思想とは?  宇部市民オーケストラ  団長 佐藤育男 (2007年3月8日 宇部日報掲載記事)

前回、第九の日本初演は、板東俘虜収容所の所長を勤める会津人松江豊寿大佐のドイツ人俘虜に対する人間愛あふれる処遇から生まれたもので、これこそ作曲者のベートーベンが目指したものと書きました。

それでは本場の初演そしてベートーベンが目指したものとはどのようなものだったのでしょうか?日本の初演を遡ること94年の1824年、ウィーンのケルントナー門劇場において初演は二人の指揮者によって行なわれました。聴力を失ったベートーベンとその補佐役、劇場指揮者のウムラウフです。(話は逸れますが、12月に封切られた映画、「敬愛なるベートーベンCopying Beethoven」では、彼を敬愛する女子音楽生のアンナが、勿論フィクションですが、人生に懊悩する彼を支え初演には影の指揮者となってサポートするシーンが出てきます。)

初演のポスターには、「シラーの詩、『歓喜に寄す』がルードヴィヒ・ヴァン・ベートーベンによって管弦楽、4声の独唱および4声の合唱曲として作曲され、プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世陛下に深甚なる畏敬をもって献呈された交響曲、作品125」と書かれており、なんと「第九」の一文字も入っていません。この長ったらしい題にあるように、彼は交響曲に声をとり入れた最初の作曲家でした。のちの批評家が、「管弦楽は宮廷・貴族の音楽を、合唱は平民の音楽を指す」、と指摘したように、第九の本質はalle Menschen werden Bruder(アーレ・メンシェン・ヴェルデン・ブリューダー、人類みな兄弟)、貴族も平民も皆平等という精神です。これこそがベートーベンの理想でした。彼は思想を音楽で表現してきましたが、この究極の人類愛の表現には初めて言葉を使いました。若い頃、ボン大学ドイツ文学科の聴講生だった彼は、シラーの「四海みな兄弟」という思想に感動し、いつか必ず音楽にとり入れると心に誓いました。

その詩は、フランス革命前夜の1785年、「歓喜よ!美しい神々の火花よ!・・・百万の人々よ、私の抱擁を受けよ!そして、このキスを全世界の人々に!」と謳い、「暴君の鎖を切り放ち、絞首台より生還せよ!」、さらに、「乞食は王侯の兄弟となる」と高らかに革命を歌いあげていました。ちなみに第九では、「乞食云々」の部分がのちにシラー自身によって改訂された「すべての人間は兄弟となる」という歌詞になりました。シラーは、最初この詩の題を、「自由独立に寄せて(An die Freiheit アン・ディ・フライハイト)と考えていたのですが、王政下の世にはばかって歓喜(フロイデ)に代えました。それから200年後の1989年、ベルリンの壁崩壊を祝って第九が演奏されたとき、フロイデに代わってフライハイトが初めて歌われたのです。

では、なぜ、ベートーベンは人種や国家を超えた人類愛の精神を第九に込めたのでしょうか。第九の完成までには第八交響曲から実に12年もの長い空白がありました。聴力障害、英雄への失望、あい次ぐオペラ上演の失敗、次々に襲いかかる内臓疾患、さらには甥カールの親権問題、人生への絶望等々、たび重なる苦悩のためでした。これらの苦悩を突き抜けて歓喜に至った事情について、作曲家の諸井三郎氏は全音スコア(全音楽譜出版社)に解説をしています。

要約しますと、「いろいろな事件のうちの最大なものはいわゆるカールの事件である。事件そのものは不幸なものであったが、そのなかからベートーベンが汲み取ったものは決して小さなものではなかった。彼は生涯を通じて家庭の幸福や家庭の愛情に最も恵まれない人の一人であったと言える。少年時代は大酒呑みの父親に悩まされ、青年、壮年時代は常に良き結婚を望んでいたが、これを得ることができず寂しい独身生活を送らねばならなかった。しかし、晩年になるにつれて、結婚をあきらめたとはいえ何らかの形で心のなかに父性愛が目覚めてきたのである。それは年少なカールを与えられたことによって急激に深まり増大して行った。カールに対して愛情や責任感を感ずれば感ずるほど、彼の偉大な魂は全人類にも向かって拡充していったのである。言い換えれば、カールの父としての彼はまた人類の父でもあった。  

同じ頃、彼は恐ろしい腸の病気に苦しんでいた。壮年時代の「運命の喉首をひっつかむ」といった激しい意気はただ忍従して神へ祈る気持に変わっていった。深い絶望から彼を救うものは諦めと忍従、そして祈りだった。彼はこのようなときでさえ彼の気持をただひたすら芸術に昇華させた。彼のような偉大な精神の持ち主にとって、彼の求める救いは周囲の人々が求める救いでもあった。ここから彼の心のなかに人類的な感情が生まれてくる。人類とともに苦しみ人類とともに救われること、これが彼の祈りにほかならないのである。その意味から彼は晩年において宗教的であった・・。(後略)」

・・彼の音楽は、バッハが神を、ハイドン・モーツアルトが貴族を対象とした代わりに、全人類を見据えています。このように、「神の前ではすべての人々が平等に喜びを分かち合える」思想が、あの力強い歓喜の歌となって実を結んだのです。そのため、第九のChoralという副題は、実は「合唱」ではなく、「讃歌」である、という意見も(私を含めて)あるのです。

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