宇部市民オーケストラ　第８回　2006クラシックの午後に寄せて(2)

宇部市民オーケストラ　第八回　クラシックの午後―気軽にオーケストラ演奏会に寄せて　―その二　「展覧会の絵」雑感　　消えた原画

後半のステージは二曲ともロシア五人組による作品である。一曲目は交響詩「中央アジアの草原にて」。作曲者のボロディン（一八三三～一八八七）はペテルブルグ医科大学薬学部の教授でヨーロッパ中の化学者から尊敬を集めた学者である。自らを日曜作曲家と称し、趣味で作曲した。ムソルグスキーとの交友などに面白いエピソードもあるが、紙面の都合で別の機会に述べさせて戴きたい。

二曲目は「展覧会の絵」。原曲はピアノ独奏曲で、ピアノの名手ムソルグスキーが作曲し、後年ラベルが管弦楽曲に編曲して世に広まった。モデスト・ムソルグスキー（一八三九―一八八一）については強烈な印象が二つある。一つは、肖像画。およそ芸術家らしからぬ、まるで飲んだくれのそれである。友人の画家、イリヤ・レーピンがムソルグスキーの死わずか十一日前に完成させた。この戦慄すべき肖像画は十九世紀の傑作の一つである。皆様も一度はご覧になったことであろう。レーピンは次のように書き残した。「・・本当にこれが彼なのであろうか？かつては一点の非の打ちどころもないみなりをし、貴族出身で連隊将校という上流社会の一員だった人物・・が突然、持ち物やエレガントな衣服さえも売り払って安っぽいサロンに入り込むと、たちまち赤いジャガイモのような鼻をもった連中と区別がつかなくなるのはまったく信じがたい。・・」若いときの肖像画はハンサムでおしゃれな青年将校に描かれているが、その二十年後、誰がこのようなアル中の孤独死を予測し得たであろうか？

二つ目は、組曲「展覧会の絵」の第四曲、「ビドロ」の原画。メロディーも素晴らしいが、絵にまつわる謎が魅力である。一八七三年、五才年上の親友で、画家・建築家のヴィクトル・ガルトマンが三一才の若さで急逝した。音楽・美術評論家で共通の友人だったスタッソフが遺作展を開き、ムソルグスキーはガルトマンの四〇〇点もの遺作から十点を選んで曲を付けた。それが組曲「展覧会の絵」である。この曲は「ガルトマンの思い出」としてスタッソフに捧げられた。その後、十点の原画はロシア革命によってその半数が行方不明となっていた。十数年前、私はテレビで「革命に消えた絵画」という番組を観た。作曲家の団伊玖磨氏がロシアを訪れ、「展覧会の絵」の原画を捜し求める旅を追ったドキュメントだった。原画の特定作業は難航を極め何とか九点までが特定できたものの、残り一点ビドロ（牛）の絵だけがどうしても見つからなかった。その番組では、チャイコフスキーコンクールで「展覧会の絵」を弾いて優勝した旧ソ連の若手ピアニストが、「ビドロは『ポーランドの牛車』のイメージではない。むしろ，ショパンの葬送行進曲のイメージだ」という発言にもとづいて、ビドロとおぼしき絵を捜し出した。それは「ポーランドの反乱」という絵で、一人の市民が街角で警官たちによって首を吊られ、まさに息絶えた瞬間の光景が描かれていた。実は、「ビドロ」とは「為政者から虐げられても（牛車を引く牛のように）黙々と従う、おろかな民衆」という意味の言葉である・・という内容だった。以来、私はこの曲を聴くたびにそのことに思いを馳せた。

ところが、去る七月二三日、宇部市民オーケストラが今回の指揮者茂木大輔氏に初めて指導を受けたときのことである。氏はビドロの曲にさしかかると、次のようなエピソードを団員に披露した。「先日亡くなった岩城宏之先生には、ここの表現は、まるで罪びとが鎖で繋がれ曳かれて行くように重々しく・・と指示されました。・・牛の話は全然なくって・・牛はどこに行っちゃったんでしょうね・・」と。これで私の謎はとけた。オイレンブルグ版のスコアを見直すと、題はポーランド語でbydlo、英語でcattleと書かれている。曲はチューバのソロ、弦とファゴットの伴奏で進む。重々しい伴奏は四分の二拍子である・・二拍子では牛の歩きは表わせない、人の歩きのほうがはるかに私には納得がいった。そこで、図書館で調べてみた。ポーランド辞典には、bydloの発音は｢ブイドウォ｣でビドロではなく、意味も「角を持つ家畜（牛を指す）」ばかりでなく「人でなし、虐げられた人」というのもあった。もし、ビドロが牛車でなく虐げられた人々であるならば、また違った弾き方、聴き方があるのではなかろうか、と愚考する次第である。ちなみに曲は、ロシアの粘り強く重々しい陰鬱な音楽で、私がこの組曲で最も好きな曲である。ソロ楽器は最近チューバでなくユーフォニアムで奏されることが多いが、奏者の下濃正浩氏は曲想をよく伝えて名演である。第二曲目の「古城」のソロを吹くアルトサキソフォン奏者安部浩信氏の名調子とともにお楽しみ戴きたい。

指揮者の茂木大輔氏はＮ響の首席オーボエ奏者で、特にドイツ古典音楽の演奏には定評がある。最近、著作に加えて、企画・指揮やお話のすべてをみずから行うコンサート、演奏会の企画等々で大活躍中であるが、宇部市民オーケストラには精緻で迫力のある響きを引き出して戴いた。９月３日の本番が楽しみである。

追記。ＣＤは、ピアノ版ならホロヴィッツ。聴いてア然、聴きなおしてボー然である。オーケストラ版は、ラベル編曲ならフランス的で瀟洒でラテンの明るさ輝かしさもあるデュトワ盤、ロシア的粘っこさを加味したアシュケナージ盤、さらにスラブ的暗さ重々しさが強調された（自身の編曲・指揮による）ストコフスキー盤（ジャケットがガルトマン原画のキエフの大門）。編曲で別の曲に聴こえるほど違って面白い。

宇部市民オーケストラ　団長　佐藤育男　（2006年8月　宇部日報掲載記事）

[トップに戻る]