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宇部市民オーケストラ 第七回定期演奏会に寄せて 

その一 レスピーギのローマ讃歌  

永遠の都ローマ・・古代ローマ帝国より歴代の最高権力が造り上げてきた都市。これほどさまざまな過去の栄光(古代の遺跡、中世の建造物、ルネッサンス宮殿、バロックの教会)が、これほど見事に調和し合い自由に混じり合っている街は世界のどこにもない。壮大なモニュメントも私たちを魅了してやまない。花の都パリの原型をそこらじゅうに見るのも大きな驚きである。

 さて、来る三月六日の第七回定期演奏会では、ベートーヴェンの「エグモント」序曲、レスピーギの交響詩「ローマの噴水」、ドヴォルザークの交響曲第九番「新世界」を演奏することになった。そこで今回は交響詩「ローマの噴水」について、発想のもとになった噴水にも思いを馳せてみたい。
そもそもローマには二千を超える泉があると言われるように、ローマは泉の都でもある。トレヴィの泉など多くの泉が観光客を集めて賑わう。どの泉にも噴水がある。その起源は古代ローマ時代、水道の終着点に記念碑として造られた壮麗な噴水にある。石田敦士氏は彼の著書、「歩いて書いたヨーロッパの歴史」(暁印書館)のなかで、「もともとローマは水に恵まれた地勢である。市の西側をテヴェレ川が流れ、七つの丘の麓には豊富な湧き水が出た。紀元一世紀までに市内に九本もの水道が引かれ、その給水量はローマ市民一人当たり一日一、五リットルにもなった。その消費量は、現在の東京都民の実に三倍にも達し、飲料水だけでなく浴場、庭園の池、噴水、下水にもふんだんに使えたのである。」と書いている。
英雄が吼え、女神が微笑み、精霊が語るローマの歴史は、そのままローマの泉の物語と重なる。(竹山博英著、「ローマの泉の物語」、集英社新書)
「ローマの噴水」の作曲者レスピーギは、近代イタリア音楽を代表する音楽家である。一八七九年、ボローニャに生まれた彼は、天才の誉れ高く十二才でボローニャ音楽院に入学、そこでヴァイオリンとヴィオラを専攻するかたわら作曲を学んだ。その間十一ヶ国語をあやつりジャズピアノも弾いた。二十才でロシアのサンクト・ペテルスブルグ音楽院のヴィオラ奏者となり、そこでリムスキー=コルサコフ教授から受けた作曲のレッスンが彼の生涯を決めた。三十四才でサンタ・チェチ―リア音楽院の作曲科教授に招かれ、ローマを第二の故郷とした。この魅力的な都を愛してやまなかった彼は、「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭」の交響詩三部作を書いてローマを讃美した。いずれもローマの名所や風物を題材に選び、過去の栄華と重ね合わせて、師リムスキーゆずりの華麗な管弦楽法を駆使して謳い上げている。

「ローマの噴水」はその第一作である。数ある噴水のなかから彼の最も好きな四つを選び情景を描写している。彼の説明によれば、「それぞれ特徴ある噴水が周囲と最もよく調和する風景、最も美しく見える時刻に注目し、その時に受けた感情と幻想を表現した」のである。一九一七年のローマ初演はさんざんだったが、四年後にトスカニーニが振ったミラノ公演では大成功を収めた。この曲は、有名な「松」や「祭」に比べれば、派手さ・華麗さに欠け、演奏効果もチェレスタなどの特殊楽器が多い割にはパッとしない。そのため演奏会でとりあげられることは少ない。私もライブで聴くのは初めてである。
  しかし、今回の指揮者松下京介氏の練習を傍で聴くと、氏はイタリアに長く留学して作品に対する共感が深く、カンタービレの効いた明るい色調で近代管弦楽法の造型をくっきりと浮かび上がらせている。じっくり聴き込むとレスピーギの管弦楽法がわかって興味深い。
作品は四部構成となっており連続して演奏される。

第一部は、「ジューリアの谷の噴水」。作曲者は、「この噴水にはローマの夜明けがふさわしい。牛の群れが湿った靄のなかを通り過ぎて消えてゆくという牧歌的風景から霊感を受けた」と述べている。私は第二部以下の泉にはいずれも二、三度行ったことがあるがこの噴水は見たことがない。ボルゲーゼ公園内にあるとのことだが、何せ公園は広大すぎて観光では見る時間がないのである。解説書には、ジューリアの谷は「ローマの松」にも出てくるボルゲーゼの丘とその北側のパリオリの丘に挟まれた辺りと書かれているが、ローマ在住或いはよほどのレスピーギ通しか知らないのではなかろうか?ご存知の方は教えて戴きたい。
曲は、霧の立ちこめた静かな夜明けの情緒を弦楽器と木管楽器が情感たっぷりに奏で、それに乗ってさまざまな楽器のソロが現われる。
 

第二部は「朝のトリトーネの噴水」。この噴水は、ローマ交通の要所バルベリーニ公園にあり観光客は必ず訪れる。今はローマっ子の乱暴な運転で喧騒の真っ只中にあるが、レスピーギの時代は静かだったのであろうか?
  「・・羅馬を往きしことある人はピアッツア・バルベニーニを知りたるべし。こは貝殻持てるトリトーネの像を造り做したる、美しき噴井ある、大なるこうぢの名なり。貝殻よりは水湧き出でて、その高さ数尺に及べり。」これは、森鴎外の名訳によるアンデルセンの「即興詩人」の冒頭である。
この噴水は、天才建築家そして彫刻家ジョバンニ・ロレンツォ・ベルニーニの作品でローマの泉を代表する傑作と言われている。噴水は、ギリシャ神話の海神トリトーネが空に向かってホラ貝を吹き、そのホラ貝から水が噴き出して水盤に降り注ぐ。ベルニーニはホラ貝の音を朝の陽光を浴びて吹き上がる水で表現したのだ。耳で聴くべき音を視覚で表現し、水と彫像が互いを引き立てるという斬新さが天才の名を欲しいままにした。
一方、作曲家レスピーギはホラ貝の音をホルンで表現した。
曲は、突如として起こるホルンの力強い吹奏とそれに絡む水の飛び散るさまをオーケストラ全体のトリルで奏でられる。レスピーギが、「その響きは、水の精ナイアードと海神トリトーネの一群を呼び集めるための喜ばしい叫び声のようだ。彼らは走りまわり、駆け上がり、互いに求め合い、水の噴出の中で物狂わしく踊ってひとつになる」と書いているように、非常に変化に富み、リズミカルかつダイナミックで、曲を終始支配するホルンが特に印象的である。
話は逸れるが、近くの「バルカッチャ(破船)の泉」はベルニーニの父ピエトロの作である。息子のロレンツォがアイディアを提供したとも言われている。映画「ローマの休日」で有名になったスペイン広場を降りたところにあるので、ご覧になった方も多いのではなかろうか。この道のまん中で難破した船のように見える泉は、意外性、それを上回る高い芸術性と装飾性で当時のローマっ子を驚かした。

第三部は、真昼の日射しに輝く「トレヴィの噴水」。この泉は誰もが訪れるローマきっての名所である。スペイン広場の近く、三本の路(トレ・ヴィェ)が合して「トレヴィ」の名がついた。今は七本もの道が集まっている。どれも狭く曲がりくねって見通しはきかないが、突然目の前に華やかな彫刻と泉が現れて快い驚きに誘われる。水源はバルカッチャの泉と同じく紀元前十九年にアグリッパ(初代ローマ皇帝アウグストゥスの右腕)によって引かれた「乙女の水道」である。「乙女」の由来には次のような言い伝えがある。昔、ローマの兵士達が行軍で喉がカラカラに渇き進めなくなったとき、一人の乙女が現れて豊かに湧く清水に案内した。兵士達は夢中に水を飲んだあと礼を述べようとしたが乙女の姿は既になかった。さては泉の精だったと気づき、命名したという。
トレヴィの泉は、ポーリ宮殿の壁面を利用して設計され背景は大きな凱旋門の形をとっている。右に「泉を兵士達に指す乙女」の像、左に「工事を命じるアグリッパ」の像がある。背景の威容に劣らず見事な水盤は、天才ベルニーニの構想を後年サルヴィが完成させたという。二頭の海馬に引かせた貝殻の戦車に乗っているのは海の神ネットウノ(ネプチューン)で、海馬のたてがみを取っているのがトリトーネである。トリトーネは海神の出現を告げるホラ貝を吹き鳴らしている。 再び話は逸れるが、映画ファンならこの泉には多くの思い出があるに違いない。アメリカが生んだ素晴らしいラブストーリーの「ローマの休日」。オードリー・ヘップバーンがスペイン広場を降りてジェラートを食べながらぶらぶら歩いていると、突然泉の景色が目の前にひらけて思わず立ちすくむシーン。また、「スリー コインズ イン ザ ファウンテン、イーチワン スイーキング ハッピネス・・」とシナトラが歌った「愛の泉」。泉を背にして三人のヒロインが幸せを祈ってコインを投げ入れるシーン。一枚目は再びローマに帰らせてくれ、二枚目は願い事を叶えさせてくれるという伝説はミシュランの案内書にある。また、「一回投げると再びローマを訪れることができ、二回投げると好きな人と結ばれることができ、三回投げるとその人と別れることができる」という人生の機微に触れる説もあるようだが、私は映画の主人公たちと同様一枚しか投げていない・・。そして、マルチェロ・マストロヤンニとアヌク・エーメが泉のなかで抱き合う「甘い生活」。二人の唇が触れそうになる瞬間、泉の音が止まるシーン・・。一九九六年、イタリアを代表する男優マストロヤンニが亡くなった日、ローマはトレヴィの泉の水を止めた。芸術都市ローマから彼へのオマージュである、と新聞は書いたものである。
曲は、ヴァイオリンの波動の上に木管楽器の荘重な響きが重なって始まる。その響きは金管楽器に移り、次第に勝ち誇るようなファンファーレとなって鳴り響く。光り輝く水面の上をネプチューンの戦車が海の精シレーナとトリトーネの行列を従えて通り過ぎて行く。そして、次第に弱められたトランペットの響きとともに遠ざかる。

第四部はメディチ家の噴水。メディチ家はスペイン階段からピンチョの丘へ行く途中にある。ローマの街を借景にした庭園も素晴らしいが、ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えて異端裁判でここに幽閉されたことや画家ベラスケスが住んだこと、フランスの作曲家ベルリオーズやビゼーがローマ大賞の褒美に三年間イタリア遊学を許されて夢多き日々をここで過ごしたことなどで知られている。
泉は道を挟んで館の前にあり、赤っぽい花崗岩の噴水から涼やかな音を立てて流れ出ている。このあたりからピンチョの丘にかけてローマ市街を一望することができる。私も夕暮れに眺めたことがあるが、暮れなずむ金色のローマは実に美しい。正面のジャニコロの丘をバックに多くの教会の尖塔やクーポラが波打ち、ヴァチカン大聖堂の威容も見る者を圧倒する。また、スペイン階段を登った右手には、もとメディチ家の館だったというホテル「ハッスラー・ヴィラ・メディチ」があり、そこのレストランからの眺望も素晴らしい。但し、値段が張る。
曲は、噴水を描くというより素晴らしい眺望や周りの情景を描いているかのようだ。夕暮れの郷愁を誘うような、もの悲しい主題で始まり静かな水の音の上に響く。そして、大気が晩鐘の音や巣に帰る鳥のさえずり、葉ずれの音などで満ちているさまを描いている。その後全ての音が夜のしじまに消え入るようかのように弱くなり、そして静かに終わる・・。
フィナーレは確かに他の曲のような盛り上がりはない。しかし、しっとりとした響きは、二千数百年の歴史をもつローマの都、そしてさまざまな泉に思いを馳せるときの格好な終曲である。

宇部市民オーケストラ 団長 佐藤育男 (宇部日報掲載記事)

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